【卒業生インタビュー】⑦ 創作者として生きる〜マルチクリエイターのあんさん〜

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こどもの森卒業生インタビュープロジェクト、第7弾の今回はマルチクリエイターとして多方面で活躍するあんさんにお話を伺いました。

あんさんプロフィール

・1999年生まれ、26歳。マルチクリエイター(2025年7月現在)

・こどもの森在籍期間:小学部1〜6年生(2006〜2012年, わくわく子ども学校時代から)

・今の自分を表す一文:創作者として全てを作品に昇華して生きる

*本記事は、卒業生の語りをなるべく忠実に伝えることを大切にしています。そのため、成長の途上にある姿や、まだ言葉になりきらない思いも含めて、等身大の今をそのまま受け止めながら記録しています。

*今回の記事はあんさん自ら原稿校正を手がけてくださいました。

創作者として全力で好きなことを楽しむ日々

ーー今何をしていて、どんな気持ちで日々を過ごしていますか ?

今はイラストで人様の活動に携わらせて頂いたりしつつ、一次創作者(=オリジナル作品を創作する人)として自分の創作作品を小説、絵、動画、ラジオ、LINEスタンプなど様々な方法で展開しています。イラストの方は主に歌い手さんやVtuberさん、ボカロPさんなどと一緒に作品を作らせて頂いていることが多いです。絵を担当した動画が200万回以上再生されたりもしていて、とんでもない縁をいただいたなぁと思ったり……。あとネットの片隅で好きな時にそっと、という感じではありますが自分でもVtuberとしてゲーム配信や「歌ってみた」などをしていて、マルチクリエイター兼Vtuber、という感じの生き方をしています。創作を優先しているので「本当にこんなので生きていけるのか」という不安を抱えつつ、支えてくれる人にも恵まれ、前を向いて全力で好きなことを楽しむ日々を過ごせています。

ーー一次創作っていうのは自分で一からキャラクターを創って……ってことですよね?

ですね。元々作品があるものの二次創作ではなくて、自分が中学生の頃からストーリーからキャラクターから世界観から全て考えて物語を書いている作品があって。それの関連コンテンツをずっと作って遊んでます。メインは小説なんですけど……小説ってあんまり読まれないので、広報活動というかの一環で関連の絵を描いたりとか。

ーーその中学生の時に生み出したキャラクター、物語みたいなのがあって、それをずっとこう膨らませているって感じですか ?

そうです。小さい頃から元々絵は描いてて、中学時代に描き始めたキャラクターが物語を持ってきたので、その物語をずっと書き出してる、みたいな感じです。

ーー「キャラクターが物語を持ってきた」っていう表現が面白いなと思ったんですけど、「降ってきた」みたいなイメージですか?

そうですね。最初はキャラ単体で存在してたんですけど、そのバックグラウンドがどうしても必要になるじゃないですか。「そのキャラがどう生きてきたのか」っていう。そこを広げてったら⻑編小説になった。

ーーじゃあ絵が最初でその子がどういうキャラクターというか、どういう背景を持っているのかっていうのを考えるというか想像を膨らましていって、どんどん物語が広がっていくみたいな。

ですね。

あんさんの一次創作作品

こどもの森を卒業した後の軌跡

ーーなるほど。こどもの森は小学部1年生から6年生の時で、その後っていうのはどういう進路を選択して今に至ったんですか?

卒業後は、北海道の田舎の中学校を選んで大阪から北海道に急に引っ越して、親戚との同居が始まったりで家庭環境が複雑になって生活が大きく変化して、様々なストレスに耐えかねて、(中学校)3年目がほとんど不登校になって。

そこから卒業して関⻄に戻ってきて通信制高校に進学したんですけど、指導者側への失望じゃないですけど、「だめだ、ここで勉強続けられる気がしない」って思ったタイミングがあって。それで学校自体をちょっと、自分の中で見切っちゃって、全然行かなくなっちゃって。通信制だったんで、単位が足りなくて留年して。途中で(別の通信制高校に)転校してなんとか卒業しました。

ーー中学校で北海道へっていうのが、どうしてそういう選択になったかっていうのをまず聞きたいんですけど……。

こどもの森が少人数だったのと、人が多いとそれだけで疲れてしまうタイプなのでできるだけこう、田舎の少人数の1学年1クラスみたいな学校がいいな〜っていうのがあって。それで色々探した結果、元々親戚が北海道に住んでいたのもあって旭川の中学に行くことになりましたね。

ーー北海道どんな生活でしたか?北海道旭川だったものすごく雪も多いと思うんですけど。

車がないと外出できないし、隣の家まで500m、学校まで5km、その間ほぼずっと畑、って感じの場所での生活でしたね。学校までが遠いのはこどもの森の時から一緒だったんですけど、こどもの森の時と違って冬場は雪で自力じゃ通学もできないので大変でした。それでもとにかく人に揉まれたくない、大人数のコミュニティに所属するのが辛い、というのがあったので田舎の学校を選んでいたんだと思います。実際そのおかげか学校生活自体は、覚悟していたよりかは全然居心地が良くて、不登校になるまではいい感じにのほほんと生きてましたね。

こどもの森で過ごした日々

ーーそうか、物理的にも、精神的にも大人数は苦手だったんですね。こどもの森はあんちゃんがいたころって何人ぐらいたんですか?

20人いたかいなかったかって感じですね。めちゃめちゃ少なかった時代なので。だから多分学年1クラスぐらいがちょうどいいなっていう感覚がずっとあった。

ーー20人だったら全員の顔も性格も把握できるぐらいですよね。ちょっと戻るんですけど、こどもの森に入学を決めたのはいつ頃かとか、なぜ志望したのかとか覚えてますか?

ほとんど覚えてないんですけど、母親に連れられて体験に行って楽しかったから、だったと思います。幼いながらに「こんな家みたいな学校があるんだな」って……わくわく(子ども学校)時代でまさに⺠家!みたいな感じだったので、こんな学校があるんだっていう衝撃を受けたの覚えてて。やっぱり当時から学校を構成してる人たちが素敵だったっていうのがあって、それが自分の琴線に触れて「このコミュニティの中で過ごしたいな」って思ったんだろうなぁと。

ーーお母さんはなんでそこにあんちゃんを連れてったのか聞いたことありますか?

元々そういう教育に興味があるというか、それこそ既存教育への不満というか、疑問というか、あんまり好ましくないなっていうのが多分ある人なので……ってので探してきてくれたんじゃないかな……?

【追記:この件に関しては、後日あんさんがお母さんに聞いてくれました】

(わくわく子ども学校のことは)イベントかお店か何かで貰ったチラシで知った気がするけれどあまり覚えてない。当時働いていた学童の子ども達を見ていて、このまま普通の小学校に入ってもあんがしんどそうだなと思ったのもあって、(本人に)提案した。保育園が子どもの興味を伸ばすことを大事にしていた場所だったこともあり、(その方針を)このまま小学校で終わり、というふうにするのはもったいないと思った。なにより自分自身が元々日本の学校が嫌いなのもあり、自分が子どもの頃にオルタナティブスクールやフリースクールを知っていたら行きたかったから、というのが一番の理由かも。

ーーなるほど。こどもの森で印象に残ってる出来事、日常のエピソードや友達やスタッフとの会話、イベントとかありますか?

真っ先に頭に浮かんだのがわくわく(子ども学校)時代、低学年の頃に自分で作った恐⻯の紙芝居をみんなの前で読んでる場面でしたね。確か「草食と肉食の恐⻯がマジックショーで打ち解ける」みたいな内容で。そのショーが始まる瞬間の「レディースエーンジェントルメーン!」って読み始めた部分で笑いが起こったっていう、めちゃめちゃピンポイントな記憶をまず思い出しました。

 

ーー恐竜が好きだったんだ、その時。

順番合ってるかわかんないんですけど最初動物というか、主に猫がめちゃ好きで、そこからなぜか(おそらく当時在籍していた子の影響で)恐⻯にブームが移って、そこから忍者に移って、みたいな感じで。低学年の周りの子たちと一緒にブームになってましたね。

テーマ学習で「野良猫マップ」っていう、近所を散索して野良猫を見つけてマップにするのをやったことがあったり。自分の中だけじゃなくて、周り巻き込んでみんなで楽しんでた記憶があります。

あと「世界の料理」っていう時間(=選択プログラムの1つ)でザッハトルテとかハロハロとかラッシーとか作ったのをすごい覚えてて。後の人生の中でそれらと出会った時に 「あ、こどもの森で作ったな」って思ったり。当時流行ってたドッヂビーとかケードロとか⻤ごっことか、人数少ないのによく遊んでたっていうのも覚えてて。

あとは「しぜん」の時間にたけのこ掘ったりとか、「クリーンハイキング」で友達が急に鹿の角拾ってきたとか(笑)。その角、確かこどもの森の玄関入った正面に飾ってあったんですよね。今でも飾られているかどうかわかんないですけど、割とずっとあったはず。

あと印象的でいうと、テーマでやっていた「おでかけ」もかなり印象的ですね。みんなの住んでるところやお家、生活圏のおすすめスポットなどを巡るツアーなんですけど、子どもがあの人数連れてバスや電車乗ったりしながら独自で組んだツアーのガイドをやる&それに参加することってなかなかにレアな体験だったなと思うし、みんなが普段どんな世界で生きているのか知れてすごく楽しかったし興味深かった記憶があります。

それと自分たちで話し合って決めて自分たちがやりたいことをやる、みたいな、「アニマルズ」(子どもたちの劇団)とか校庭にあった小屋でやってた「バー」とかのこう、子ども発信すぎる、大人に全くやれって言われてないものがかなり印象に残ってますね。

今の活動の土台にあるのはこどもの森での経験

ーーこれまでの自分にとって生き方や進路を決める転機だと思うような出来事ってありますか?

高校卒業後、コロナ禍もあって就職活動も人間関係もしんどくて全てを投げ出しそうになったことがあったんです。でもそこで踏み留まれて。その理由が〝(自分の)作品が未完結だったから〟っていう。純粋に自分の作品を好きでいてくれてる人たちがいることを分かってたので「未完結のまま死ねない」「これは完結させなきゃだめだ」って思って。最終追い詰められた時に自分に残るのが「作品」 だっていうのが分かったので、じゃあもうそれを軸に生きていこうって。その時に自分の中で覚悟が決まったというか、人生の方針がそこで見えたっていうのがあって、それが転機だったなと思ってますね。

ーーそこまで思える作品を創ってるっていうことがすごいなと思って、そんなものを持ってる人ってあんまりいないんじゃないかなっていう気がします。

そうですね。ちょっと変わった生き方してるんだろうな、という自覚はあります。

ーーもう色々話してくれたかなと思うんですけど、今改めて振り返ってみて、こどもの森での経験が自分にどういう影響を与えたと思いますか?

引っ越しが多い人生なので、大阪から北海道、北海道から奈良に引っ越しててその度に荷物を整理する機会があるんですけど、いまだにわくわく(子ども学校)やこどもの森時代のものが残ってるんですよね。作品とか、自由作文のファイルとか、当時貰った手紙とか。誕生日会でスタッフが贈ってくれた工作作品とかもおそらく全部残ってて。引っ越し繰り返しても捨てられずにずっと持ってて。

こどもの森のスタッフや友達にもらったものはすべて大切に保管している

ーそれはあんちゃんにとっては大切なものっていう・・・

そうですね。それで当時の作品を見つけるたびに、自分のものづくりの根源がここにあるなって思ってます。今やってる活動で小説書いたり、キャラクターに声を当てたり、キャラクターとして歌ったり、その音源に動画をつけたり、小説に挿絵や表紙描いたり、そういういろんな媒体で楽しんでいるんですけど、(こどもの森に在籍していた)当時から同じようなことはずっとやってて。それこそ挿絵が入ってる手作りの恐竜の小説が残ってるので、見つけるたびに「ずっと同じことしてるな〜」って。

小説以外の演技や歌も、劇団「アニマルズ」で役者をしていたこととか、音楽の時間に自分で選曲した曲を歌ったりとかしていたことの延長線上にあるものだし。やっぱりそういうのが楽しいなって印象がこどもの森の頃から自分の中にあるから、今もずっと似たようなことをやってるんだろうなって思ってます。

あと創作物にもかなり影響が見られるんですよね。自分がこどもの森で経験してきた教育方針や子どもと大人の関係性を良いと思っているから、その理想の形に近いものが割と当たり前に存在する世界を描いている、ということに、このインタビューを受けることになった時に気がついて。子どもの自主性を受け入れてくれる、取り合ってくれる、子どもの言うことだからと頭ごなしに否定しない、という信頼や期待ができる大人像がこどもの森にはあると思ってて。それってすごく理想的な関係だと思うんですよ。だからそれを創作世界でも描いている。

 

ーーこどもの森に在籍していた時ってどういう風に感じてたか覚えてますか ?

とにかく好印象で、めちゃめちゃ過ごしやすいなって感じてたと思います。結局自分の代には間に合わなかったんですけど中学部を立ち上げようとしてた時期があって、そうやって自分で動くぐらいにはこどもの森が好きで。なので当時から自分にあった素晴らしい環境だなっていう認識は多分あって、「絶対この経験は自分の人生の中で土台になるし、いいものだったって思えるんだろうな」って……6年生になると卒業が見えてきてこどもの森に通ってきたことを振り返ったりとかするので、特に高学年の時期はそう思ってた気がしますね。

まさにそれが現れてるなと思うのが、自分の携われる最後のアニマルズの公演で。卒業式の日の公演だったんですけど、自分がシナリオを書き下ろす、台本を書くっていう回だったんですよ。で、当時そういう風に「自分にとってこの6年間は特別で一生の宝物になるんだろうな」と思ってたから、その回で自分たちをモデルにして〝良い思い出〟の物語を書いた、っていうのがあるだろうなって。

ーー現実を投影させたフィクションみたいな。

そうですね。確か自分が本を書いているところに現れた女の子からの「何書いてるの?」という問いから始まって、本の内容が劇として展開されて、「ああ、いいお話だった」的なセリフで終わる劇だったんですけど、今思うとあれは「こどもの森で過ごしてどうだった?」からの「ああ、素敵な時間だったんだね」と同義だったような気がします。未来の自分がこどもの森での時間を振り返った時に宝物のようだと思える記憶になっていて欲しいな、の祈りもこもっていたと思います。そして大人になればなるほど、本当にそうなったな、という実感を得ています。

こどもの森のような信頼できる存在でいたい

ーー今あんちゃんは何を大事にしてますか?

自分の作品と、手の届く範囲にいて言葉を交わしてくれる人たちのことを大事にしようと思って生きてますね。自分を大事にできて初めて周りのことも本当に大事にできる、って思ってるので、上手くできていない時期も長かったんですけど。「今の生き方を一文で表す」のところで 「全てを作品に昇華して生きる」と言ったように、今は自分が持てるもの全てを作品に昇華して生きているおかげで、その〝作品を大事にする一環〟として自分のことも少しずつ大事にできるようになってきた気がするので。周りもちゃんと大事にしたいなって。

ーーこれからどんな風に自分の人生をデザインしていきたいですか?

何よりもまず自創作の完結に向けて突き進んで行きたいですね。今の創作の本編は書き始めてからもう5〜6年経つんですけど、今年やっと序盤が終わったレベルの⻑編なので、とにかく完結に向けてガンガン執筆ができる環境を手に入れることが最優先です。それ以外のことや完結以降の人生には今は特に執着してなくて、なるようになっていくんだろうなって思ってます。そのなるようになっている中でやれる限りちゃんと今を見て周りを大事にしながら、彼らと一緒に楽しいことができていたらそれが一番自分らしくて良い生き方かなって思ってるので、そういう風に生きていければいいなと。

あと先の話で言うといつかまた何らかの形でこどもの森に携わることができたらものすごく光栄だな、とも思っています。なので今回インタビュー企画の存在を聞いて、役に立ちたいという思いに任せて飛びついてしまいたい気持ちがあったのですが、諸事情でしばらく迷っていたりもしました。その諸事情や最優先が創作だという現状があるので実現云々はさておき、今はせめて自分自身が周囲の人にとって、インタビューを受けるか迷ったときに素直に相談できる、取り合って一考してくれると思える、そんなこどもの森のような信頼できる存在でいられたらいいなと思います。

インタビューを終えて・・・

私はあんさんと今回のインタビューで初めてお話しました。これまでの人生を振り返り真摯に語ってくださる姿に、「初対面の大人になんでここまで話してくれるんだろう?」とふと不思議な感覚に襲われ、その後「これはコミュニティに対する絶対的な信頼があるからだ」と思い至りました。これまでのインタビュー・プロジェクト全体を通して感じていることですが、こどもの森の現・在校生とスタッフはもちろん、卒業生や保護者をはじめとするこれまで学校に関わってきた人々は、こどもの森というコミュニティへの絶対的な安心感と信頼のもと、ゆるやかにつながり続けています。

これは稀有なことなのではないかと改めて考えていました。こどもの頃過ごした場所へ「ここならきっとどんな私でも受け入れてくれる」と成長した人たちが戻ってくるーーコミュニティの持つエネルギーの大きさと広がりを感じています。そして、本来はすべての子どもがこうした温かいコミュニティの中で成長できる社会であってほしい、そうした社会にしていきたい、と切に願います。

今の時代の子どもや若者をとりまく社会的環境を考えると、若い人たちにとって前向きに生きていくことが困難に感じられる局面があって当然だろうと思います(各種国際比較調査でも、日本の子ど・若者がとりわけ生きづらさを感じていることが明らかになっています)。こうした状況にも関わらず、こどもの森での経験を糧にして「自分が周囲の人にとって信頼できる存在でいたい」と語るあんさんに心を動かされました(自分が20代の頃にこんなふうに自分のことを俯瞰して捉えられていたとは到底思えません)。このプロジェクトを通して、こどもの森で育った人たちの自己の内面と向き合い自に正直であろうとする姿、そして真剣でありながら軽やかに歩んでいく姿勢に、私自身が勇気をもらっています。あんさん、インタビューに応えてくださって本当にありがとうございました。        

 (低学年スタッフ・しきたん)