【卒業生インタビュー】自分らしく彩った道を、自分の足で進んでいきたい~留学中のはるかさん~

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こどもの森ですごした人たちは今・・・

こどもの森卒業生インタビュープロジェクト第3弾は、現在デンマークのフォルケホイスコーレ※に留学中のはるかさんにお話を伺いました。

※フォルケホイスコーレ(Folkehøjskole)は、デンマーク発祥の「成人教育学校(民衆学校)」の一種で、日本語では「フォルケホイスコーレ」や「民衆高等学校」と訳されることがあります。

はるかさんプロフィール

  • 1997年生まれ、28歳。(2025年7月現在)
  • 箕面こどもの森学園在籍期間:小2~小6まで(2004-2009・わくわく子ども学校開校時のスターティングメンバー)
  • 今の自分の生き方を表す言葉:「見たい」「知りたい」と感じたものには自分の足で向かっていきたい。 年齢にとらわれず、やりたいことにチャレンジし続けたい。

-まずは簡単に自己紹介してもらってもいいですか?

 私はこどもの森の前身である、わくわく子ども学校に小学2年生から6年生まで通い、わくわく子ども学校には中学部が無かったので、当時箕面市に新しくできた小中一貫の公立中学校(1クラス10名程度)に入学しました。高校は留学制度のあった私立の女子高に通学し、2年時にニュージーランドへ1年間留学しました。

大学は大分県にある立命館アジア太平洋大学に進学しました。80か国から留学生が来ているので日本に居ながらにして海外にいる文化を味わえる学校で、国際関係と文化社会メディアをメインに勉強をしました。大学3年時に1年間休学し、宮城県へ復興支援インターンに行きました。

卒業後、スターバックスコーヒーにて4年間のアルバイト経験を経て、今年2025年1月から6月までの6か月間はインターナショナル・ピープルズ・カレッジに留学しています。8月からは4か月間、ノーフュンスホイスコーレに留学予定です。

-デンマークに留学したいと思ったきっかけは?

大学の先輩に「はるかちゃんはいろんな教育を今まで受けてきているから、きっと北欧の教育に興味あると思うよ」と言ってもらえたことや、わくわく子ども学校で担当スタッフだったみほさんに「フォルケホイスコーレというのがあるよ」と教えてもらったことがきっかけですかね。

本当は大学卒業してすぐにデンマークに行こうとしたんですけど、ちょうどコロナが流行し始めた時で。大学の卒業式もなくなり、デンマークどころではなくなりました。

ですが、ずっと「フォルケに行きたい」という気持ちは頭や心の片隅にありました

ただスターバックスコーヒーでのアルバイト歴も長くなり、なかなか辞めどきを見つけられなかった時に、母から「これからどうしていくの?」と言われ、「そろそろ行かないといけないよな」とけじめをつけることができました

留学して気づいたこと

-フォルケホイスコーレ卒業後、どうしたいなどは考えていますか?

デンマークに来て、特にヨーロッパの子たちと関わる中で感じたのは、「人生の節目で立ち止まる」ことが普通になっているということでした。
自分の人生に悩んだとき、迷ったとき、彼らは一度立ち止まって考える。それがすごく自然なんです。

一方で、日本の文化では、立ち止まることに対するハードルがすごく高いように思います。
みんなと同じ流れに乗って、受験して、大学に入って、就職して…という道が、あまりにも当たり前になっていて、自分のペースで立ち止まることが難しい。もちろん、最近は休学する人がいたり、昔に比べて選択肢は増えてきているとは思います。

でも、ヨーロッパの子たちと比べると、日本人の子たちは、自分が何に興味があるのか、何が好きなのか、そしてこれからどう生きていきたいのかをじっくり考える時間が、圧倒的に少ないと感じています。でも、必ずしもそこで「自分はこれが好きです!」ってはっきり答えを出す必要はないと思っていて。むしろ、いろんな経験をする中で、「なんとなくこれ、気になるな」「ちょっと面白いかも」っていう感覚を育てることが大事だと思うんです。

そういうきっかけがあることで、自分が何を大切にしたいのか、少しずつ見えてくる

そういう時間やきっかけを持てるようになれば、日本の中高生たちが、もっと自分らしく生きられるんじゃないかなって。だから私がこっちで経験していることを日本に持ち帰れたら良いなぁ、直接子どもと関われるお仕事ができたら良いのかなぁって思っています。まだまだぼんやりと描いている程度ですが。

(写真に写っている方のご了解をいただいた上で、掲載しています)

-「今の生き方を端的に表す言葉や一文」って何か思いつきますか?

「自分がやりたいこと」や「好きなこと」に年齢は関係ないと思っていて、これからもチャレンジし続けたいという思いがあります
この先どんな生き方をして、どんな人と出会うかはまだわからないけれど、「見たい」「知りたい」と思ったことには、自分の足で向かっていきたい。チャレンジできるうちは、そうやって自分の感覚を大事にして生きていきたいと思っています。

「こどもの森」での学び

-こどもの森での経験って今の自分にどんな影響を与えていると思いますか?

今話した「好きなこと」とか「自分がやりたいこと」にチャレンジできる、それがずっとできる環境だったからこそ、今この年になっても、そういう気持ちが残っているし、そうやって生きていきたいって思うんですよね
だからやっぱり、こどもの森にいなかったら、今の私はいないと思います。こどもの森で過ごせなかったらどうなってたんだろう…って、自分でもちょっと怖くて、考えられないです。

自分が「好きなこと」とか「興味あること」に、ずっと探究し続けられる環境だったからこそ、私は「こういうことが好きなんだ」とか、逆に「こういうことにはあまり興味がないんだな」っていうのも知ることができました。好きなことを問い続けそれが、自分の中でこどもの森の経験で学んだことだったなって、今になって思います

-こどもの森時代に印象に残っているイベントはありますか?

たくさんあるんですけど、やっぱり「全校集会」ですかね。
こどもの森では多数決をとらないっていうのが前提で、みんなが必ず同意して、ルールや方針を決めていく場だったんですよね。
当時、小学生だった自分からすると、そこには大人も子どもも一緒にいて、子どもだけじゃなくて大人も納得させないといけない。それがすごく大事だったんです
だから、大人が反対した時に「なんでそうなるの!?」って納得できなくて、私は泣き叫んだりして…。今でも伝説みたいに語り継がれています。

-伝説?

はい。自分の思うようにいかなかった時に、バーッと感情が爆発する、みたいなことが全校集会で何度かあって。
「なんで反対するんですか!?」って。全校集会自体が苦だったわけじゃないんですけど、「反対派」が出てきたときに、どうやって納得してもらえるか、多数決じゃなくて話し合いで、どうやったらお互いが納得できる案を出せるか…っていうのは、当時からすごく考えていたと思います

今思えば、小学生の自分があんな話し合いをしてたなんて、本当にすごいと思います。絶対、今の自分が同じ状況に立ったら、「そうですよね…」って折れちゃいそう。
でも、小学生だったからこそ、純粋な心で「ここだけは譲れない」っていう思いがあって。

例えば修学旅行の行き先ひとつでも、「私はこれがしたいから」とか、運動会の種目でも「これがやりたいから」って、みんながそれぞれに譲れないものを持ってたんですよね。

その中で、折り合いがついたとき、お互いがウィンウィンというか、ハッピーな形でまとまったときに、「あ、話し合いでこういうふうに合意ってできるんだ」っていうのは、すごく印象に残っています

-修学旅行を初めて実現したのが、はるかさんたちの世代だったんですよね?

そうなんです! それまで修学旅行ってなかったんですけど、「行こう!」って決めたのが私たちの代で。
で、「行く」ってなったときに、「じゃあお金はどうするの?」っていう話になって。
そこで、フリーマーケットとかバザーで資金を集める、っていう流れができたんです。

だから、本当にすべてが思い出なんですけど、やっぱり「子どもの意見を尊重してくれる」っていうのは、本当に貴重な時間だったなって、今振り返って思います

-ほかに、日常の中で印象に残っているエピソードってありますか?

そうですね、さっきの全校集会にもつながるんですけど…もともと私は“三日坊主”タイプで、好きなことでもなかなか長続きしないタイプだったんです。
ものづくりなんかも、その日に作り終えられないと「あぁ…!」って感情的になってしまうことがよくあって。「今日終わらせるつもりだったのに終わらなかった…」って、自分の中で感情が爆発してしまう、みたいな。

でも、小学校5〜6年生のころ、同級生にすごく手芸の上手な子がいて。
その子はテディベアを作ったり、編み物をしたり、洋服を作ったりしてて。「私もやってみたい!」って思って、一緒に修行のような感じで手芸を始めたんです。

それまでは、1日で完成しないとすごくイライラしてたんですけど、その子と一緒にやってるうちに、「自分が納得できるものじゃなければ、別に急がなくてもいい」「時間をかけて丁寧に作ろう」って、マインドが変わっていったんですよね

あるとき、みほさんに「変わったね」って言われて、自分でも「あ、変わったかも」って思ったんです。なんでそう思うようになったか、きっかけは正確には覚えてないんですけど、でも、「せっかく作るなら、丁寧に仕上げたほうがいいよな」って、そのときにすごく感じました

進路の転機

-ここまでの人生を振り返って、ターニングポイントってどこでしたか?

やっぱり進路の選択は、すべてが自分の中でターニングポイントだったと思っています。
中学3年のとき、進路を決めるタイミングで特に行きたいところもなくて、母に「なんでその高校を選んだの?」と聞かれて「制服が可愛い」って答えたんです。
そしたら「そんな理由なら一円も出したくない。高校は義務じゃないんだから、中卒でもいいんじゃない?」って言われて、「あ、中卒もありなんだ」ってハッとしたんですよね
結果的には「海外に行ってみたい」って気持ちが出て、行きたい高校を選びましたが、もし中卒だったらどうなってたんだろう…とか、いろいろ考えます。

高校はすごく進学校で、もう「関関同立に行かない人は、もう見えない存在」みたいな空気感があった学校でした。でも私は本当に勉強が苦手で、なんでこの高校に入ったんだろうっていうくらい、毎日つらかったです。留学制度だけが目的で入ったんですけど、もう本当に壮絶でした。成績もずっと、下から数えたほうが早いくらい。毎日がサバイバルでした。

進学についても、「流れで関関同立に行くのかな」って思ってたんですけど…。
そのとき、母から「(あなたが)興味のない大学にお金は出したくない」って言われて。
それで、「自分って何がしたいんだろう?」って、また考える時間が生まれて

そういうふうに、人生の節目節目で「私は何がしたいんだろう」って立ち止まって考える機会がいつもあったんですよね。だから、そういう意味でも、進路選びのたびに“ターニングポイント”があったと思います。

-今の生活の中で、どんな気持ちで過ごしているかっていうのを聞いてみてもいいですか?

5年越しの夢だったフォルケホイスコーレにようやく来られて、本当にうれしい気持ちはあるんですけど、実際に生活してみると想像していた理想とはちょっと違ってて。
たとえば、周りは10代の子が多くて20代後半の私は少数派だったり、学校でも寮でも常に誰かと一緒にいる環境で、なかなか一人になれなかったり…。言葉の壁もあって、思うようにいかないこともたくさんありました。

でもそのぶん、自分と向き合う時間がすごく増えて、「自分って何が好きなんだろう」とか、「どう生きていきたいんだろう」って考えるきっかけになったと思います。
英語に自信がなかった私に、「僕たちネイティブからしたら、ネイティブじゃない人が英語を勉強して、こういう知らない土地に飛び込んでいるっていうのが、そもそも尊敬なんだよ」って言ってくれた子がいて、それが本当にうれしくて。
言葉以上に、心でつながる感覚も少しずつ感じられるようになってきました

100%理想の留学ってわけじゃないけど、いろんな出会いや出来事を通して、「やっぱり来てよかったな」って思える半年間になっています

-人生をぐっと好転させた原動力って、はるかちゃんにとって何ですか?

原動力…うーん、でもやっぱり「好きなことをしたい」という気持ちが一番大きいですね。
すごく極論かもしれないけど、私は死ぬときに「あれやっとけばよかったな」って後悔して死にたくないんです。
本当に、明日事故で亡くなるかもしれないし、何が起こるかわからない。でも仮に80歳まで生きるとしても、そのときに「やっておけばよかった」と思う後悔を、ひとつでも減らしたい。

だから、自分が「今やりたい」と思ったことには、嘘をつかずに走り続けたい
動けって自分に言い聞かせて、必要な努力やスキルが出てきても、諦めたくない。たぶん、それが私の原動力なんだと思います。「好きなことをやりたい」っていう気持ちが、私の根底にあります

あと、就活しないって決めたことも、私の中では大きなポイントでした。
もしどこかの会社に就職していたら、そのままずるずる何年か働いて、気づいたら抜け出せなくなる気がして。私は性格的に、いったん入ると辞めづらいタイプなんです。だから、あえて就活はせず、アルバイトを選びました。
やっぱり、「好きなことを追い続けること」が、私の原動力なんだと思います

-「嘘をつかずに」という言葉、響きました。

もちろん社会に出たら、折り合いをつけて、うまくやっていくことも必要だと思うけど、でも自分の人生は自分のものだから、誰かに「これやりなさい」と指示されるような人生は絶対に嫌で

敷かれたレールを歩くよりも、自分で選んだ道を歩いていきたい。仮に失敗したとしても、「自分で選んだんだ」って納得できるじゃないですか
誰かに言われてやったことで、結果が思わしくなかったら、「あの人に言われたから」って言いたくないんです。だからこそ、自分が「やりたい」って思うことには、まっすぐ向き合っていきたい

-改めて、こどもの森ってはるかちゃんにとってどんな場所でしたか?

こどもの森は、私一人だけじゃなく、子ども一人ひとりの可能性を広げてくれる場所だったと思います。そして卒業してからも、ふらっと立ち寄れる「私の居場所」であり続けてくれました。
たとえ「好きなこと」や「やりたいこと」が明確に見えなくても、
「こういう生き方でもいいんだ」と思わせてくれる空気が、あの場所にはありました。

正直に言えば、在学中は「こんなんで大人になれるのかな」って思ったこともありました。でも今、振り返ってみると、私はちゃんと自分の足で生きている。だから、生き方に正解はないし、それぞれの選択がその人の道になるんだと思います。
こどもの森は、そんなふうに「生き方に選択肢を与えてくれる場所」でした。

-これからの人生、どんな風にデザインしていきたいですか。

 これからも、心の中から湧いてくる「やりたい!」という気持ちに正直に、自分だけの人生を歩んでいきたい。誰かの決めた道ではなく、自分らしく彩った道を、自分の足で進んでいきたい。

インタビューを終えて・・

インタビューを終え、ふと胸に残ったのは、「人は、与えられる教育ではなく、自分で選んだ学びによって、本当に生きた知となる」ということでした。

はるかさんの語り口は終始おだやかで、誠実で、でも時折、静かな熱が言葉の端々ににじんでいました。「好きなこと」や「自分らしさ」を出発点にしながらも、それだけにとどまらず、自分自身と深く向き合い、問いながら道を選ぶ姿がとても印象的でした。

フォルケホイスコーレへと踏み出した背景には、「自分の人生を自分でつくっていきたい」という強い意志があります。そしてその根底には、こどもの森で育まれた「自分で考え、選ぶ」力が確かに息づいていると感じました。その姿に、私は子どもたちの未来を願う大人の一人として、大きな希望をもらいました。

子どもたちは、いつもまっすぐに、自分の感覚と信じるものに向かおうとしています。その歩みをどう支え、見守るか―焦らず、比べず、問いながら歩むこと。そのプロセスを信じて待つこと。それは、われわれ大人にも共通する、これからの時代に求められるまなざしではないでしょうか。そしてこの対話が、今の教育や子育てにモヤモヤを抱えている誰かにとって、小さな光や道しるべとなればと願っています。          

こどもの森小学部保護者 中泉あゆみ