【卒業生インタビュー⑬ 後編】自由にいろんな人と関わりながら生きていく〜海外のリゾートで働くむぎとさん〜②

Pocket

こどもの森での日々

――こどもの森に入学した理由は何だったんですか?

もともと幼稚園が、自主保育みたいな形のところでした。親同士で子どもを見守るみたいな感じで、公園に集まって、校舎とか何もなくみんなで過ごすような幼稚園に通っていたんです。自由な感じの親が集まっている幼稚園だったんで、それで僕の親もそのまま公立小学校に行かせるのではなくて、いろんな選択肢を見せてくれました。そのうちのひとつが、こどもの森(当時はわくわく子ども学校)だったんです。それで、体験に行かせてもらって、すごくアットホームな雰囲気に惹かれました。もうだいぶ前の話なのであんまり覚えてはないんですけど、体験に行って、ここがいいなっていうことで決めました。

――私自身も、マックスで12人くらいの異学年の学校に行っていたので、アットホームな感じがいいなと思うのは、わかります。

そうですね。こどもの森でよかったなと思うのは、隅々まで大人が子どもをみてあげられるというのと、異学年が一緒の空間にいたというのは、本当によかったなって、いま振り返ると思います。違いがあることが当たり前で、ちょっと困っている人がいたら、年上の子が助けてあげたりとか、年下の子は頼ることを覚えたりとか。そういうことは、大人になっても役立つことだなと思います。異学年だからこそ、得られるものがすごくあったなと思いますね。

――こどもの森は、今は以前より規模が大きくなりましたけど、それでも低学年と高学年で縦割りの活動があったり、異学年同士の交流があるのはいいな、と保護者として思います。むぎとさんは、自然な流れで、こどもの森に入学したとは思うんですが、入学するにあたって悩んでいたことはありましたか?

もう1年生から行ってたので、特に疑問はなかったんですけど、僕は遠くから通っていたので、地元で友達ができにくい、というのはありましたね。

――ご両親が、きっとオルナタティブ教育に関心があったのかなと思うんですけど、学校を決める時に、ご両親と話したとか、そういうことは覚えていますか?

サドベリースクールとか、いろんな学校に見学させてもらいました。ただ、サドベリーは僕にはなんか合わないなって思った記憶がありましたね。自由すぎて、一日中ゲームしてもいいみたいな感じなので、ここでは僕は輝けなさそうと言いますか。こどもの森の方が僕には合っているかなという印象を受けました。

――こどもの森で、印象に残っている出来事はありますか?

ひとつ、自分の中での大きな出来事としては、僕が小4から小5ぐらいに変わるタイミングで、今の校舎に移転したということがあります。わくわく子ども学校の時は、普通の民家だったので。他の子どもたちは普通に大きな学校に行っていて、自分はこの学校にいるけど、大丈夫なんだろうか?みたいな気持ちが幼心に多少はあったと思うんです。劣等感ではないですけど、他の子と違っていていいんだろうか?みたいな風に思ったことがあって。

――うーん、わかります。ある程度、周りと比較できる年齢になると、テレビとか映画に出てくる学校って大きくてチャイムが鳴って、宿題あってテストあって、そうした学校と自分の学校は違うな、みたいに思う気持ちは出てきますよね。

そうですね。それが、こどもの森の移転によって、何だかちゃんとした校舎を私たちは持ったみたいな気持ちがあって、ひとつのもやもやが解消されたと思います。人数はそんなに変わってなかったんですけど、校舎ができたというのは、僕の中で大きな出来事でしたね。

――今の校舎ができる時は、自分たちで、いろいろ作り上げていったりしたんですか?

今はもうなくなっちゃったんですけど、現・中学部の校舎のところは木工室だったんです。詳細には思い出せないんですけど、それをみんなで何か手伝ったような気がします。いまある校庭の滑り台とか池とかも新校舎に移って間もないときにプロジェクトの時間でみんなでつくった思い出があります。

――木工室は、いま小学部の3階にあって、うちの子は木工が好きですね。

僕も木工はよくやっていた記憶があります。こどもの森に来るような子って、物作りが好きな子が多かったように思います。子どもってだいたいそうなのかもしれないですけど。

――他に何が好きだったんですか?

あとはミサンガ編むのとか、料理とかお菓子作りとかするのもすごく楽しかったですね。プロジェクトの時間とかでも料理は結構していました。マドレーヌ作ったりとか、フィナンシェとかプリン作ったりとか、そういうのはすごく思い出に残っていますね。あと行事ごとで言ったら、やっぱり修学旅行とか体育祭とかも思い出に残っています。

――修学旅行はどこに行ったんですか?

全部で2回行って、1回は姫路に行ったんです。もう1回も関西圏だったような。とりあえず楽しかったという思い出だけはありますね。

――みんなで行く場所を決めたり、旅行を準備していく集会もあったんですよね。

宿を予約する時に泣いた記憶がありますね。緊張しすぎて電話かけるのが嫌すぎて、でもしたい気持ちもちょっとあってみたいな。今でも電話かけるってなったら、ちょっと緊張しますし。しかもよくわからない小さい学校の生徒が急に電話かけてきて、向こうもびっくりするだろうし。でも今、生活していたら、いろんなところで電話かけないといけなかったりする場面はあるし。それも英語で電話かけなかったりしないといけなかったりもするので、修学旅行の時の記憶が蘇ったりする時もあります。

――英語はどうやって勉強したんですか?

きのくにの高校は国際高等専修学校っていう名前なんで、一応英語に力を入れているんです。だから、英語はほとんど学校で学んだという感じです。とはいえ、最初は全然英語はできなくて、好きでもなかったんですけど、実際にイギリス行ったり、韓国とか中国行ったりする中で、ちょっとずつ「あ、英語しゃべれると面白いかも」ということに気づいていきました。ピースボートでも、英語を使う機会はいっぱいありました。

――これまでの自分にとって生き方や進路を決める転機などはありますか?

高校2年生ぐらいの時に、すごくいい先生に出会ったんです。オーストラリアで先住民と一緒に暮らしていた先生がいて、その人が「世界は広いぞ」みたいなことを教えてくれたりとか、あと学んでることと社会をその人が結びつけてくれたみたいなところがあって。そこから、学ぶのも楽しいし、外に出かけて、いろんな人と会っていくのも楽しいみたいな感じになっていきました。その先生が、ホセ・ムヒカさんのスピーチを最初の授業で見せてくれて。あれが今でも僕の中でバイブルみたいな感じになりました。その先生が、いろんなドキュメンタリー映画とか見せてくれて。食料問題のことだったりとか。僕は、その先生に影響を受けすぎて、高校2年ぐらいから2年間ぐらい肉食べない生活を送ったりとか、スタバ行かなかったりとか、コンビニとか自販機とかペットボトルも全部使うのをやめたりしたんです。

――すごい。やろうと思ってもなかなかできないことを実践していますね。

だいたい2年ぐらい、別になくても生きていけるよなと思って、実験的にやってみたりしましたね。

――その影響を受けた先生の担当は社会科だったんですか?

いや、なんか総合的な学習とかの先生で、めっちゃ素敵な先生でしたね。めちゃめちゃざっくり言えば、自分のひとつひとつの行動と世界が繋がっているよということを伝えてくれた気がしますね。

――さすが、きのくにの先生という感じがしますね。

きのくにも本当にいい学校でしたね。

自分で決めて進んでいくこと、他人を否定しないこと

――いま改めて振り返って、こどもの森での経験が、どんな影響を与えたと考えていますか?

良くも悪くも、こどもの森にいたら、自分で計画立てて自分でやっていくしかないじゃないですか。だから、自分で決めているから人のせいにできないというのは、今の生活にすごく繋がっているなと思いますね。

――それはすごく大事ですよね。誰かに言われた通り敷かれたレールに乗っていたら、そのレールが急に閉ざされたりとかしたら「何で?」となりますよね。誰かのせいにするしかないというか。

確かに、そうすると親のせいにするか、会社のせいにするか、それで心病んじゃったりとかするかもしれないですよね。まあ自分で決めて自分で進んでいくしかないということは言葉にするまでもなく身についている気がします。全部納得して何が起きても別に自分の人生だし、自分でどうにかするしかないし。

――こどもの森に通っていた時も、そういう風に感じたりしていましたか?

そうですね、なんか、そういうところはありました。人に頼ったりするのも自分の実力のうちみたいなところとか。今から振り返って思うのは。なんか大人も他の学年の子も、すごく対等に接してくれていたな、と思います。しかも頭ごなしに否定されないのは、本当に居心地が良かったなと思います。

――むぎとさんは今は何を大事にしていますか?

まず、他人の意見に対して、可能な限り否定をしないというのは大事にしたいと思っています。あと、可能な限り、その場にいる中で一番立場の弱い人のそばにいたいとも。もちろん、それはなんか別に立場とかじゃなくても、例えば、日本人3人とオーストラリア人1人がいて、ずっと日本語で喋ってたりしたら、オーストラリア人は多分ちょっと居心地悪いじゃないですか。そういう時に、ちょっとそっちに行くみたいな。なんか本当にちっぽけなことなんですけど、その空間にいる中で、一番困っていそうな人のそばにいたいなとは思います。

――外国行ったりとか少数派になったりすると、少し居心地悪いというか、言語や風習の問題もあって意見も通りにくくなったりするから、そういう人たちのそばに行くというのは、すごく素敵なことですね。そういえば、少数派を否定しないというのも、こどもの森でやっていることですよね。

そうですね。その少数派を否定しないってところで、ひとつ思い出に残っているエピソードがあります。わくわく子ども学校時代に、玄関の掃除のことについて話し合っていたんですけど、完全に外の方までやるのを月曜日がいいか金曜日がいいかみたいな話し合いをしてた時に、僕だけずっと月曜日がいいみたいなことを言ってたんです。他の人はスタッフも生徒も含めてみんな金曜日がいいみたいな話になってて、結局その時の話の結論は、僕がその掃除当番になった時だけ月曜日にやるみたいなことが、話し合いの中で決まって。それがなんか、めっちゃしょうもないちっぽけなエピソードなんですけど、今でもすごく印象に残ってます。

――普通だったら多数決で、もうみんな金曜日するから、月曜日希望の人も我慢しろみたいになるけど、そうじゃないということですね。小さいことに見えても、すごく大事なことですね。

そうですね。こうやって大人になってもそのエピソードを覚えているってことは、その時の自分にとって、否定されていないという気持ちがあったんだろうなと思います。

――これから、どんな風に自分の人生をデザインしていきたいですか?

これからも、いろんな立場とか、いろんな人種とか、本当にいろんな人と関わっていければ面白いかなと思っています。それはまあ、どこの国でもいいですし、日本でも全然いいんですけど。同じような人ばっかりがいるところで生活するのも飽きてしまうので。

――むぎとさんみたいに世界各地でお仕事をして、いろんな人と交流するというのは、向いていないとできないことだと思います。ぜひこれからもそうやって生きてほしいなと思います。今回は、貴重なお話をありがとうございました!

インタビューを終えて・・・

世界各地を旅しながら働いている卒業生がいると聞いて、ぜひお話を伺いたいと思い、むぎとさんにインタビューしました。むぎとさんは、とても温かい雰囲気を持ちながら、興味を持ったことはやってみようというチャレンジ精神に富んだ方でした。ピースボート、インド、ニュージーランド、オーストラリアでの暮らしの話はどれも面白くて、インタビューの時間は(本筋と離れて)かなり長くなってしまったのですが、一番印象的だったのは、立場の弱い人や少数派の人に寄り添おうという、むぎとさんの民主的な感性でした。それは、こどもの森で、自分の意見が尊重されたことがベースになっていると聞き、多数決によらない対話の時間が大きな影響を与えているのだと思いました。これはなかなかできることではないと思います。人間はどうしても集団になると、多数派のほうについてしまう傾向があり、戦争やジェノサイドなど歴史的な悲劇はその帰結ですが、こどもの森での民主的な対話はそれに抗う感性を育んでいるのだな、と感動しました。こうした寛容さをもったむぎとさんだからこそ、多国籍の環境のなかで、生き生きと輝けるのだと思います。むぎとさん、またぜひ旅の話を聞かせてくださいね!(S.H)