こどもの森ですごした人たちは今・・・
こどもの森卒業生インタビュープロジェクト第13弾は、海外リゾートで働くむぎとさんにお話を伺いました。むぎとさんの旅のお話が面白く、インタビューが長くなってしまったため、2回に分けてお送りします。
*本記事は、卒業生の語りをなるべく忠実に伝えることを大切にしています。そのため、成長の途上にある姿や、まだ言葉になりきらない思いも含めて、等身大の今をそのまま受け止めながら記録しています。
むぎとさんプロフィール
- 1998年生まれ、27歳
- こどもの森学園在籍期間:小学部1〜6年生まで
- 今の自分の生き方を表す言葉:自由にいろんな人と関わりながら生きていく

――スタッフの方からすごく面白い卒業生がいるって話を教えてもらってインタビュアーとして名乗り出てみました。世界中を旅してお仕事しながら暮らしているということは聞いていますが、改めて、ご本人から詳しく教えていただきたいです。いま何をしていてどんな気持ちで日々を過ごしていますか?
今は、オーストラリアのスキー場のケバブ屋さんで働いています。2年前も同じところで働いていたので、戻ってきたみたいな感じです。だいたい3ヶ月ごとぐらいに拠点をずっと変えながら生活しています。去年はニュージーランドに1年間いました。その前は、今のケバブ屋さんとかで働いていたので、2年前はオーストラリアに1年いて、という感じで。3ヶ月ごとぐらいで転々としながらその場所で仕事を見つけながら働いているという感じですね。
――つまり、去年ニュージーランドにいた時も、ニュージーランドのなかで、3ヶ月おきに場所を変えていたということですか?
そのような感じです。最初にニュージーランドに入国したのが去年の6月ぐらいだったんですけど、向こうは南半球なので冬で、10月ぐらいまでスキー場の近くの街で働いていました。それで、そこが終わったら、またその後は、車に住みながらニュージーランドの南島から北島まで横断しました。その場所場所で仕事を見つけて働いていたといった感じです。
――今はオーストラリアのどのあたりにいるんですか?
ちょうどシドニーとメルボルンのちょうど中間ぐらいにある内陸地にいます。週末とかはシドニーとかメルボルンとかから来る方が多くいます。
――去年はニュージーランドで、今年はオーストラリアにいるということで、今回のスキー場のお仕事が終わったら、次に行きたいところとか移動しようと思っているところはありますか?
フランスに行こうかなと思っています。ビザの関係で行けるかどうかはまだわからないんですけど。ヨーロッパで働いたことがまだないので、スキー場も良さそうだし行って働いてみようかと思っています。
――だいたい、スキー場で働くことが多いんですか?
そうですね。今オーストラリアに来て、その2年前もオーストラリアにいたんですけど、その時も12月とか日本の冬になったら日本に戻ってスキー場で働いたりしていて。だから、この2、3年は、ずっと冬を追いかけ続けるみたいな感じでした。ただ、コロナが明ける前は海外に行くことができなかったので、日本の冬はだいたい北海道にいて、夏は沖縄か富士山とか立山とかの山岳リゾートで働いて生活していました。
――スキーがお好きなんですか?
はい。スキーもしますし最近スノーボードにハマっていて。それ自体も好きなんですけど、スキー場に働きに集まってくる人たちが、結構面白いんです。国際的な雰囲気だし、こっちに来てもいろんな人種の人がいて、みんなスキーとかスノーボードが好きな人たちなので、その雰囲気というか、エネルギーを持った人たちと一緒に働いたり暮らしたりできるっていうのが、今は一番魅力的だと思っています。
――フランスだったらどこのスキー場で働きたいとか希望はあるんですか?
今一番行きたいなと思っているのは、レトワバレーというスキー場です。150個ぐらいリフトがあって、滑ってスイスとかイタリアに行けるらしくすごく興味があります。もしビザの関係などで無理だったとしても、日本のスキー場に行けば、オーストラリアで出会った人たちとかと合流できるので、そうしようかなと思っています。
――そうやって皆さん移動するのですね。
そうですね。オーストラリアのスキー場で働いた後に日本のスキー場で働くというライフスタイルの人たちが結構いっぱいいるので。
――北海道とか本当に世界各地から滑りに来ているということは、よく聞いています。
そうですね。僕が働いていたところもシンガポールの会社だったりとか、オーストラリアの会社もいっぱいあって、働いている人もオーストラリア人とか海外の方が多かったりします。
旅の面白さに目覚めて
――小学校の間、こどもの森で学んでいたということですけど、こどもの森を卒業してからは、どんな進路を選択して、今に至ったのですか?
こどもの森を卒業してからは、中学校と高校は、きのくに子どもの村学園に行きました。高校を卒業してからは、ピースボートに乗って3ヶ月半の旅に出ました。3月に卒業して、もう4月1週目か2週目ぐらいからのクルーズに乗って世界一周をして、そのままピースボートに就職するような形になりました。働かないかと誘ってもらったといいますか、面白そうな仕事だなと思いまして。ピースボートで1年弱くらい働きました。東京で暮らしながら、たまには船の上にもいるみたいな生活をしていたんです。ピースボートを辞めた後は、インドで1年間、日本語学校の先生をしながら、バックパッカーのためのゲストハウスの運営の仕事というか、インターンをやっていました。それで、その後にコロナ禍になって、それからリゾートで働く暮らしが始まりました。コロナが収束してから、オーストラリアに来て、ニュージーランドに行って、今はオーストラリアにまた戻ってきたというような感じですね。
――面白そうな体験ばかりですね。ピースボートがきっかけになって、旅の面白さを発見したみたいな感じなんですか?
それももちろんありますけど、僕が5歳ぐらいの時なんであんまり覚えてないんですけど、家族でタイに行ったことがあって、それがすごく楽しかった思い出がずっとあったりしたっていうのもあります。あと、高校で、イギリスに1ヶ月、韓国に1週間、中国に1週間、学校の授業で行けたので、それで海外に行くのが面白いなと思って、そこから興味を持ち始めたという感じですね。
――そういうことがあって、高校卒業した後にピースボートで世界一周してみようと思ったんですね。
そうですね。あと高校卒業後の進路を決める時に、大学に行くかすごく迷っていて。高2とか高3ぐらいの春休みとか夏休みの時、高校の先輩が行っていた大学に毎週のように授業に潜らせてもらってました。大学の講義とか、すごく面白いなあとも思ったんですけど、なんか現地で学びたいというか、座学だけじゃない学びの方が僕には向いてるかなというのがあったので。結局、高校卒業後そのままピースボートに乗ることになりました。その後、ピースボートで働くことになるとは、乗る前には想像もしてなかったんですけど。
――その後、インドに行ったのは何かきっかけがあったんですか?
インドに行ったのは、インドに行く少し前かな、1か月か2ヶ月ぐらい前に、京都で10日間の瞑想合宿をするみたいなものに参加したんです。もう朝4時から夜8時までずっと瞑想し続けるみたいな、すごく怪しいやつに参加したんですけど、そこでなんかインド好きな人がいっぱいいて。インドにも同じ瞑想センターがいっぱいあったりとかして。その合宿で出会った人から、インドで日本語を教えるのと宿の管理人みたいな仕事をやってみないかっていうお誘いを受けて、もうそのままインドに行ったみたいな感じですね。
――それもすごいですね。インドは面白かったですか?
インドは、最初の契約では、2ヶ月だけとりあえずやってみてくださいみたいな感じだったんですけど、それが面白かったので、結局1年弱くらい滞在しました。そこも支店みたいなのがインドにいっぱいあったので、一箇所にいたわけじゃないんです。最初はコルカタの近くの小さい港町にいて、それからコルカタに移動して、その後は首都のニューデリーに行って、それぞれの場所で、3、4ヶ月くらい過ごしていました。
――確かにインドもかなり大きいですよね。
そうですね。本当に日本の国土の何倍もありますし、場所柄や文化も、それぞれ北部、南部とかで全然違います。言語とかもそれぞれの地域で違ったりとか。話がちょっと脱線しちゃうんですけど、僕がインドで一つ衝撃を受けたことがありました。宿で一緒に働いていたインド人の子がいたんですが、あるとき僕が新聞の写真だけを眺めていてトピックがわからなかったので、この記事は何て書いているのと聞いたら、その子は新聞を読めなかったんですよ。公用語のヒンディー語で書かれていたんですけど。話すことはできても読み書きができない人が普通に自分の同僚にいるというのが衝撃的でした。
――なるほど、それは驚きですね。やっぱり経済的な格差が大きいのが関係しているのですかね。
それももちろんあると思います。裕福な家庭で育った子じゃないとは思いますから。やっぱり言語の違いっていうのがあると思います。その子はデリーの出身じゃなくて地方出身だったので。それでもその新聞が読めないっていうのは、僕にとって衝撃的でしたね。
――そういうことも含め、インドでいろんな経験をして帰国したんですね。帰国後にリゾートで働き始めたという感じでしょうか。
そうですね。そもそも、なぜリゾートで働いてみようと思ったのかというと、きっかけはインドだったんです。宿の管理人をしていた時に、日本人が泊まりに来ていて、これ終わったらスキー場行くんだみたいなことを話をしてた人と何人も会ったんですよね。お金を稼ぎながら趣味を楽しみながら、そういう生き方もあるんだと思って、自分でもちょっとやってみようと思ったのが始まりです。
――では、最初は日本のリゾートで仕事して、コロナが収束してから、海外のリゾートで働き始めたという感じなんですね。次はフランスに行きたいということだったんですけど、他に行きたいところはありますか?
そうですね。フランスで冬に働いて、それが終わったら、せっかくなんで、ヨーロッパの他の国々を転々としながら巡りたいなと思っています。あとはカナダとかにも行けたらなと思っています。
――話は変わって、こどもの森を卒業した後は、きのくに子どもの村学園に行かれたということなんですが、きのくにも面白い学校だし、ある意味自然な流れだとは思うんですが、そこに行こうと思った理由は何だったんですか?
まーちゃん(コクレオの森の前代表理事の辻正矩さん)と、きのくにの理事長の堀真一郎さんが仲がいいということもあったりして、きのくには選択肢のひとつにはおのずと入っていました。それで、体験とかに行かしてもらいました。僕が、こどもの森にいた時には、全校で15人いかないくらいの生徒数だったので、最初はきのくにの人数の多さにびっくりしました。そういう意味で、全然違う場所ではあったんですけど、大人と子どもの対等な関係であったりとか、自分で決めていくスタンスだったりとか、共通しているところはいっぱいあったので、自然とじゃあここにしようみたいな感じで決めました。
――その当時はこどもの森に中学部はありませんでしたよね。きのくには自宅から通っていた感じですか?
中学校の時は、毎日通っていました。親から離れて寮に入るのは、やっぱりちょっと怖かったので。中学生の時は、通学に毎日2時間ぐらいかかっていました。ただ、僕はこどもの森に行くのも1時間半くらいかかっていたので、小学校の時の通学時間と比べてそんなに変わらなかったです。そして高校からは寮に入りました。

(続く)*次回は、こどもの森での日々について、じっくりとお話を伺います!
