学校はどうあればいいんだろう? 全国若者・ひきこもり協同実践交流会から考える

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第15回「全国若者・ひきこもり協同実践交流会inとちぎ」に参加してきました。
今回、なぜ参加したかというと、「市民による学校づくり~多様な学びとは何か~」をテーマにした分科会にスピーカーとしてお声かけいただいたからです。せっかくなので発表の日だけでなく、2日間、参加をしてきました。

 

初日の基調提起は、「生きづらさを増大させる時代と社会の変えていくために、市民が主体性をもって、協同しながらよりよい社会を目指していこう」という内容で、若者を支援の対象ではなく、協同の主体としてとらえることや、分野・領域・立場を超えた協同の大切さが主張されていました。

この内容に関しては、コクレオの森が「ともにつくる」として目指している内容とほぼ同じだったので、やっぱり大切なことって、つながってくるんだな~と思いながら聞いていました。

 

続いての全体シンポジウムでは、「権利としても若者の協同実践をめざして」と題し、「スウェーデンの若者の民主主義と社会参加」についての発表が、研究者の両角達平さんからありました。

スウェーデンと言えば、グレタさんの国でもあります。なぜ、彼女の運動があそこまで勢いづいたのか、その背景にはスウェーデンの国のあり方があるとのお話でした。

スウェーデンでは、若者が社会参画することが大切なことだと考えられていて、市民の文化として根付いているそうです。

「13歳から25歳のすべての若者が、良質な生活環境に恵まれ、自身の人生を形作る力を持ち、コミュニティの発展に影響力を持てるようになること」が、若者の社会参画を促す政策の目標とされていて、地域に若者が社会参画できたり、政策提言できるようなサークル活動がたくさんあって、それが国によって推進されていて、「子ども・若者への投資は、未来への投資である」との考え方から、かなりの額の税金もそこに使われているとのことでした。

そのサークル活動の一つの代表の若者は、「民主主義とは何ですか?」という質問に対して、「自分の声を聞かせることができて、影響を与えることができることです。」と答えていて、それに続いて、「社会が良くなるためには変化が必要で、多くの人の考え方が反映された方がいい社会になると思う」と答えていました。

実は、数年前、当時大学院の学生だった両角さんが参加している大会で、「箕面こどもの森学園の教育:多数決をしない全校集会」について発表したことがあります。

その発表の後で、両角さんが私のところに来て、「スウェーデンの若者がなぜあそこまで社会参画するのか不思議に思っていたけど、発表をお聞きして、その理由がわかった。スウェーデンの学校では、今、ご発表いただいたいような教育がなされていて、それが土台になっているんだと思います。」とおっしゃってくださり、とても勇気づけられたことを思い出しました。

会場には、ひきこもり当事者の方もたくさん来られていて、何人かの方から直接お話を聴くことができました。お話を聞く中で、私たちは、たくさんの当たり前に縛られていると改めて感じました。

「みんなと同じことが同じペースでできることが当たり前」
「暗記中心で言語優位で処理スピードが求められるテストの点数で評価されることが当たり前」
「テストの点は低いより高いが上で、スピードは遅いより速いが上」
「失敗はなるべくしない方がよくて、迷惑はなるべくかけないほうがいい」

これらの思い込みは、社会の中に当然のようにあるものですが、その社会のあり方を反映している学校という場所が、そういう価値観を子どもたちに抱かせてしまっているよな~とつくづく思いました。

2日目に、「市民による学校づくり~多様なまなびとは何か~」という分科会で、箕面こどもの森学園の実践についてお伝えしました。

子どもたちをありのままに認め、受け入れること。そして、その子どもたちの声を大切にしながらも、大人も大切にされ、楽しみながらかかわること。子どもたちの自己肯定感、自分軸をもって自己決定する力を育み、対話を大切にしながら、自分からあなたへ、自分たちから私たちへつながっていく学びのあり方についてお話させていただきました。

会場から、「学校外(公立の)が多様になるだけではなく、学校内(公立の)をどう変えていったらいいのか。学校外と学校内を超えた議論が必要な時期になってきているんじゃないか」という問いかけがあり、本当にそうだな~とつくづく思いました。

この問いに対して、コクレオの森として向き合い、私たちにできることを引き受け、一つひとつやっていくことが、子どもや若者に生きづらさを抱えさせてしまっているこの社会を少しでもいいものにしていけることにつながると思うので、これからも、一歩一歩進んで行きたいなと思いました。(M.F)