第80回教育カフェマラソン 永遠瑠(とわり)マリールイーズさん(ルワンダの教育を考える会理事長)


2021年7月9日(金)話題提供者:永遠璃(とわり)マリールイーズさん

80回目の話題提供者はルワンダの教育を考える会理事長の永遠璃(とわり)マリールイーズさん。「ルワンダ」「命の尊さ」「教育の大切さ」をキーワードにお話を頂きました。

マリールイーズさんが27年間活動されてきて掲げるスローガンは「教育は平和と発展のカギ」。どうしてこう考えるようになったか、まずはルワンダを知って欲しいと仰られました。

【内戦が破壊したルワンダの豊かさ】

マリールイーズさんが日本で一年間研修を受けていた間、出身を尋ねられてもルワンダを知る人はほとんどおらず、そのたび手帳の地図(アフリカ世界の地図がある)を見せながらここですよと教えたそうです。

しかし、帰国して一年後、再来日して「ルワンダです」と答えればその反応は一変。たった一年でルワンダのもってた歴史が全て消えてしまい、戦争のルワンダ、虐殺のルワンダとなってしまいました。

「ルワンダ人からしたらすっごく辛いです。歴史もあり、文化もあるのに、全部戦争が消してしまったっていうこと。そして戦争の国になって、怖い国になってしまった、今でも、ルワンダに行きたいって言うと、そんな国行っていいの?!って訊かれます。」

でもこうして今日出会った皆さんにはルワンダの良さを知ってほしい、そうマリールイーズさんは言います。

ルワンダは4つの国に面しているため国境を跨いで行き来ができ、食べ物、ファッションを自分好みに選べます。個々の国で言語が異なるためそこに住んでいればその国の言葉が話せるようになるとか。
また、「丘の国」とも呼ばれるルワンダの気候は一年中穏やか。自然も豊かで、丘が多いため山に住む動物もいればサバンナに住む動物もいる。特にマウンテンゴリラが有名で、赤ちゃんに名前をつける儀式が一年に一回あるそうです。

「もともと本当に穏やかな国で文化もみんな共有していった、言葉が一つで、仲良く暮らしていたんですけど、植民地時代がすべてを崩してしまった、ていうふうに理解していただければいいと思います。」

【植民地支配の歴史と現在】


20世紀で最後の大虐殺と言われる100日間の内戦では100万人を超える犠牲者が出ました。
現在、植民地時代に使われていた憲法は改正され、2003年にルワンダ独自の憲法ができ、全住民による憲法の投票の結果90%以上の投票率で、その憲法によりルワンダが治められているといいます。

いま世界が注目しているのはルワンダの女性の政治の参加率の高さ。今現在62%を超える国会議員が女性だそうです。

「彼女たちの働きは、すごい、世界を驚かせている、許しと和解の政策まで作り上げていくことができたので、ほんとに、大変な中から新しい未来が切り開かれていってるように感じます。」

【マリールイーズさんの教育との出会い】

小学一年生のマリールイーズさんは、わくわくいっぱいで、年齢も達していないまま、親の目を盗んで、姉たちの後を追い学校に行っていたといいます。途中見つかると家に返されるので、隠れて姉たちが学校に到着してから5分後に現れるという戦略も立てました。

学校では先生が毎朝出席をとりますが、1ヶ月ほど経って先生の出席の仕方に変化があったといいます。

「これから名前読み上げます。読み上げたら立ってください、と指示がありました。で、読み上げて、立ったみんなを全員、おわりっていうときに、今読み上げたみんな荷物をまとめて帰ってください、と先生が言ったんですね」

それはみんなわくわくしてやっと教室の中に慣れてきた頃。同級生の泣きながら帰る姿が忘れられないといいます。
その時はなにが起きているかわかりませんでしたが、後からわかったのは、追い出されたのは学費を払ってなかった子達ということでした。

「あれは悲しかった、悔しかった。もう子供ながらなんでそういうことをするの、って」

「それが私の始まりですね。だから絶対に大きくなったら誰も追い出さない学校があったらいいなぁと思いながら育ったということになります。」

卒業後教師になって、マリールイーズさんを苦しめたのは、それを彼女がしなければならなくなったということでした。

【初来日とホームステイ先のおばあちゃんとの出会い】

ルワンダに青年海外協力隊が来ていたことがご縁で日本で研修ができるようになったマリールイーズさん。93年に初来日されました。


「私は出逢いに恵まれている人で、たぶん、世界中で幸せな人がいるんだったら、私が、一番目に幸せな人なんじゃないかなっていつも思います。」

福島県で2ヶ月間、日本語を勉強しながらのホームステイ。そこでは人生を変えてくれた80歳のおばあちゃんとの出会いがありました。彼女が80歳を過ぎていたのに文字が読めて、書けていたことが感動的だったいいます。
自分の母は96年間生きて一度も本に縁がなく、それにより母に手紙を書けない、母から手紙がもらえない。それに悲しさを覚えていたマリールイーズさん。

「私の活動の原点はそこにあるのかなと思います。母のように読みたくても読めない、書きたくても書けない人、一人でも減らせたらいいなというのが強い思いです。これを強く感じさせてくれたのがおばあちゃんです。」

「日本語学校から帰ってくると、おばあちゃんがこたつの中で、しっかりとひらがなを始め、日本語の話し方をみ続けて、徹底的に指導してくれました。」

愛情と厳しさが合わさった中、2ヶ月で、自分が言いたいことを言え、相手に言われたことも大体意味がわかる、という状態になったそうです。そしてその学びがマリールイーズさんの福島での滞在を楽しくさせました。

【内戦勃発】

94年2月に帰国し、その2ヶ月後ルワンダ内戦が始まりました。30人の同僚のうち25人は戦争によって命を奪われてしまったといいます。

「戦争は悲しいもので、それだけはなくしたい、というのが私の教育への思い、ですね。平和で生きていくためには、学びを通して、平和を作り上げていくことができればいいかなぁと、思ったのは、愛する同僚たちと、そして私自身の兄は、実の兄は殺されています。遺骨も見つかっていません。5人子供を残したまま、どんなに寂しく死んでいったのかなあって考えたりもする」

「内戦の時の様子は、悲しいことがいっぱいあります。それを絶対誰にも体験させたくない、というのが私の思いでもあるし、この活動に、一生懸命、集中していられる理由の一つでもあります」

死んだ街、爆弾が飛び交う中を走り抜けていく。今でも世界のどこかで同じようなことが起こっていると思うと辛くて眠れない日々があるといいます。

【難民生活と学びによる救い】

子供を3人かかえて爆弾が飛び交う中を逃げ、難民キャンプに辿り着いたマリールイーズさん。毎日夜がやってくるのが怖くて神様に祈っていたといいます。


そこでもマリールイーズさんを助けたのは教育、学んだことであり、それはひらがなと家庭科で習ったドーナツ作りでした。
「いきています、なんみんきゃんぷににげることができました、たすけてください」とひらがなのFAXを送るときに、たまたまAMDAのお医者さんたちが難民を助けてきていて、そのひらがなを見て通訳の仕事をすることになったといいます。
また、難民キャンプに届いた支援の中に小麦粉があり、それを見て中学校の家庭科で習ったドーナツ作りが蘇り、ドーナツをつくり、売って、その売り上げでFAXを送ることができたのだそうです。
学びが自分を救ったとマリールイーズさんは言います。

ファックスを見た友人たちがマリールイーズさん一家を助ける方法を探し、留学生として日本に行くことになりました。

難民キャンプに置いてきた子ども達のことや虐殺の時に生き残った孤児たちの将来を考えると、学んでなかったらまた再び戦争を起こすんじゃないかとマリールイーズさんは思いました。

「ルワンダにいた子供たちのことを思い起こしながら何ができるか、命あるからできることは、子供たちの教育に力を注ぐことだと思いました。」

【ルワンダの教育を考える会のはじまり】

マリールイーズさんはある男の子に尋ねたことがありました。「大きくなったら何になりたい?」
返ってきた答えは、「おばちゃん私たち大きくなるまで生きてられると思う?」というもの。
戦争は生きる希望まで奪うと確信したマリールイーズさんは、そこから必ずいつか自分のやりたいことを言わせてみせると自分の心に誓ったのだといいます。

2000年にルワンダの教育を考える会をつくり、ルワンダに学校を作るお金を集め(イベント参加、ルワンダの民芸品の販売)、教室二つから作って、子どもを迎え入れ授業が開始しました。
すると一ヶ月経ってあの夢が語れなかった子どもたちも夢を語るようになりました。


「だからはっきりわかったのは教室には夢がたくさんあるんだなと思いました」

あれから20年。手作りの学校が大きくなり、ここには今現在260人の子供たちが幼稚園と小学校で勉強しているのだそうです。でも田舎ではまだ栄養失調で脅かされてる子ども達もいて、始めたのはその解放へのお手伝い。毎日給食を食べさせてあげること、着替える制服を作ってあげながら、親たちの自律にも繋いでいってるのだそうです。


「神様は人を作りあげていくけど、教育に携わる人は神様のお手伝いをしていると私は思っています。人をつくり上げていくこと、ですね。わからなかったことをわからせてあげることから、その人らしく生きてくことができるのが教育ではないかなと思っています。」

 

【学び、夢をもつ子どもたち】

「この女の子は兄弟二人栄養失調でなくしました。出会った時は笑顔もなければ振り向いてもくれなかった子供なんですけど、今現在お医者さんになりたいって、小学校2年生になりました。やっぱり教育は夢を本当にもたらしてくれるものなんだなと思います。」


13年卒業生を送り出している学校。写真の女性はその2期生として卒業し、中高に行って、去年看護師として大学を卒業し、この学校に戻ってきて現在は自分の後輩たちが怪我をしたときに治療に当たっているそうです。


「彼は授業はちゃんとできませんでした。けど、絵を描くことができるんです。兄弟の中ではもう勉強ができないなんてと言われたんですが、自分の手で絵を描くことができるので、実は今年の11月に自分の絵が多分日本まで連れてきてくれます。彼には新しい扉が開かれているんです。」

「彼らたちのこれからの将来はそのそれぞれのカギを使ってどこを開いていくか、それぞれの子供の自由ですね、そういうのが私にとって教育なのかな、切り開くドアは私たちが切り開いてあげるわけではありません。それぞれのもらったカギを使って、どこかを切り開いていくことにつながるのかなと思います。」

マリールイーズさんが55歳の誕生日に彼からもらった絵にはストーリーがあります。
人は必ず明かりをともしてくれる人がいる。その人があかりとなってまた誰かをともす。だから教育はエンドレスであるということ。

「貰いっぱなしではなく、もらったものをリレーのように誰かに受け渡して、受け渡した人がまた次の人に受け渡すことができるような、こういつまでもいつまでも続く、リレーのようなものではないかなと思います。」

「私の目指す教育は、子どもが、どこにでも、安心して眠りができること。恐れることなく、爆弾が飛び交ってくることを恐れずに、安心してどこでも、こう、眠れることができるように大人の私たちがしなければいけないことではないかなとは思っています。そして、教育は必ず、切り開いてくる未来があるので、この子供がはっきりと示してくれたんじゃないかなと思います。」


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【熟議テーマ①】
教育は平和と発展のカギ。それはどういうカギか、カギになっているものは何か。

熟議後シェア
Y:ルワンダの国のことを知らなくて、今まで自分が日本でどれだけぬるま湯に浸かっていたか、学べる幸せがあるなって、その余韻に浸って気持ちが追いつかなかったのが正直な気持ち。

N:教育によって戦争に駆り出されるといった教育の怖い面もある。「教育」というと「教え、育てる」といった形で、上から何かを教えるというようなイメージが自分の中でついてしまうので、それよりも主体的に学びたいっていうようなところで「学び」というような言葉で、その人が学びたいことをどうやったら形にできるか深められるか、学びたいことを後押しするのが教育なのではないかと思う。

H:自分たちが生きられるんだと思えていること自体がすでにすごいというお話が出た。自分は大事な存在だと実感できる、みんなが生きていけるのが大事。

【熟議テーマ②】
一番に子供に受け渡したいカギは何か。どんなカギを子供が持って生きてくれればいいと思っているのか。受け取る側はどんな鍵を受け取りたいか。

熟議後シェア
K:カギは自己肯定感。自己肯定感は生きてること自体に自分の価値があると感じられる心のことなのでこれを持っていれば最強なんちゃうかな、と。
生きている、自分の命があるありがたさ、1番大切な命に実感を持つこと。本音が言えるということ。

N:チャレンジすること、人の話を聴くこと、受け入れること、何があっても自分を信じて逆境の中でも生きていくこと。

M:小学生と大学生、大学の先生がいるグループ。勉強する意味を考えたり教えてくれること。面白い授業。宿題をやる理由。

H:わくわくのカギ。学ぶことは楽しいんだよというのを大人自身がわくわくすることで。
命の権利のカギ。自分には生きる権利があるんだよ、意見を声に出していいんだよって、あなたはあなたらしくいていいんだよって伝えていくカギ。

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【最後にマリールイーズさんから】

こういう場があることの嬉しさ、そしてこういうことはみんなで考えていかなければならないということ。覚えさせるのはいい、ただ何のために覚えていくのっていうのを忘れずに大人は付け加えること。

「本当に、生きてれば全て持ってるっていうこと。生きて学んだことがあれば尚更生きる価値が出てくるんです。何で学ぶの?って、生きるために学ぶんです。正直なところ。生きるためにみんな学んで、生きてきてるじゃないでしょうか。でもその生きていくために学んだことを私たちどれだけ子どもに伝えているでしょうか。あるいは、教師だったり、職場であったり、生きるために学んできたはずなんですけど、なんか点数だけ見ていて、何点取ってきたのって、今日はどんな楽しい授業だったのってよく訊かないんですよね。こう、点数で物事をみるっていうんじゃなくて。」

大きくなるまで生きてられるの、って言った子はストリートチルドレンだったそうで、食べるものもなく学校から何回も逃げていたのだそうです。

「今になったら、彼自身の口から『今の僕があるのは連れ戻してもらったから。もしそのまんまにしていったら泥棒、か、人殺しをしていたかもしれないから。でもこの学校で勉強していたことがあって生きてるんだなあ』っていうことですね。」

「だから本当にみんな、それぞれ、今日も、味わいましょう、です。生きていることを。そして生きていることを次の人にその命を繋いでいくことができるような、だから教育はそういうことをさせてくれるんじゃないかなと思っています。」

初めて自分の名前が書けたことを覚えていますか、とマリールイーズさんは問われました。その瞬間を思い起こせばすごく感動するはずで、でもその感動を私たちは子ども達と分かち合っているのか、ということを。

「子どもたちは持ってます。何かを。ゼロではないから。だからそこに、種に水をあげるような感じでその成長を楽しんでいくということに繋がればいいなあって。きっかけです。カギはきっかけです。きっかけにすぎないです。AからZまで、0から100まで教えるということではなく、きっかけ作り。」

「そのきっかけに躓いた時にこういつまでも味方だよって言える人になれたらいいなって思いました。」

「争いをつくる教育じゃない教育をつくっていきたい。人を貶したり、人をばかにしたりすることじゃなくて、認め合うことができる、共に生きていくことができる、お互いさまの心を持っていくことができる。」

「頭でっかちだけじゃなくて、心と頭と体ですね。三つが同時に育っていくことができるようなものになったらいいなと思いました。」

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命、という根底と、生きるための教育。マリールイーズさんの歩んだ道のりを思いながら、自分が今、ここで生きていることを見つめ直す。
日常の当たり前の一つひとつの行動の裏に絶えずかけがえのない命があるということ。それをじっくりと認識するような、あたたかく密度の濃い時間であったように思います。

 

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