第21回教育カフェ・マラソンは、宇都宮誠さん(生野学園 学園長)をお迎えしました。
話題提供では、(宇都宮さんのお話にも出た言葉ですが)とにかく「自問自答」に満ちた半生が語られました。
宇都宮さんが幼い頃、家では牛を50頭くらい飼っていて、その乳搾りを任されており、それを終えないと学校に行かせてもらえないので、早く済ませようと牛を急かした結果、暴れられて牛の糞まみれで学校に行くこともあった…というお話で笑いを誘っておられました。
さらっとお話されておりましたが、宇都宮さんの人生観・教育観の中に「そこに匂い(臭い、かもしれません)があるべき」という信念ができた発端のように、個人的には思いました。大学は法学部に進学し、そこである程度勉強したものの…「法律ほどおもしろくないものはない!」と思い至った背景にもそれがあるように思いました。
在学中にお弁当屋さんのアルバイトをしたらハマってしまって、気づいたら貯金が100万を超え、外国に行ってみることにした宇都宮さん。「いちばん遠いから」という理由で行き先に選んだブラジルでは、不慣れなポルトガル語ではレストランで注文もできない、という不安な状況でヒッチハイクを繰り返しているうちに、治安の悪い街にたどり着くこともあり、危険な目にも遭った一方で、そこにいる人たち、とりわけ子どもたちの目はキラキラと輝いていて、「生きるって何だろう?」と自問自答の日々を過ごしていた、というお話、大変興味深くお伺いしました。
そんな人々の輝きに惹かれたのか、ブラジルで生きよう!ブラジルに永住したい!とブラジルをバスで移動中に決意された宇都宮さんでしたが、大学4年のとき、祖父の死、親友の自殺と、いろんなことが重なってしまい、ブラジルに永住してよいものか、かなり悩んだそうです。お母様には泣かれてしまったとのこと。
悩んだ結果、「人のために何かしたい」という思いから、福祉を学ぼうともう一度大学に編入することにしたそうです。4回生になるとき、ある老人ホームの変わり者の園長に誘われ、そこでお手伝いをする日々に。仕事は痴呆老人の介護で、一緒にお風呂入ったり、おしめを替えたり(※)。でも「人と付き合って、そういうのがいい」と思った宇都宮さんは、そのまま老人ホームに就職しました。
老人ホームでは徘徊老人にとにかく苦労し(夜中に10キロは歩くのだそう)、一緒に付いていくのがとにかく大変で、老人の皆さまに睡眠薬を…というきっかけで、生野学園創設の中心人物でもあります、森下一先生(精神科医)と運命の出会いを果たします。
老人ホームでは、(まだ若いのに)パネラー、講演会、いろいろさせられる日々で、ここでも宇都宮さんは自問自答です…「若造がおじいちゃんに『指導』って…自分に何ができんねん!」と自らの限界を感じた、というお話に大変心打たれました。指導、登壇、を繰り返すうちに増長しそうな若者の方が多い気がする一方、宇都宮さんはその真逆で、「指導、講演…?そんな生意気な、1から出直そう、勉強し直そう!」と強く思い、「ホンモノの人―森下一先生―についていく」という決心に至るその考えの道筋、大変感動しました。
当時森下先生は不登校の子どもたちの診察をしており、そのお手伝いをすることになった宇都宮さん。週1回1時間ほど、家庭訪問をして、不登校の子どもたち、親たちと話をする。その際、自分の価値観の狭さを痛感した、というお話にも、これまで伺った宇都宮さんの人柄が表れているように思いました(ネタがなくなると歌を歌ったりもしたのだそうです)。
そんな不登校の子どもたちのために「学校を作ろう!」と寄付を募って回ったところ、何と4億円ほど集めることが!「バブルだったこともあり」とおっしゃっていましたが、「自由って何かな、生きるって何かな」と不登校の子どもたち、親たちとの出会いを通じて、ずっと問い続けてきた宇都宮さん他関係者の皆さまの熱意の結果だと思いました。
一方で、「自分に与えられるものはそんなにない」、という気づきにも至った宇都宮さん、親鸞の「自然(じねん)」という言葉を引きつつ、上から物を語るのではなく、ありのまま、正直に問いただすことの必要を説かれていました。子どもが、いろんな生き方、いろんな価値観、とりわけ「正直な人」「人格者」に「出会う力」、それができる「コミュニケーション力」、そうした力が子どもたちの「生きる力」につながる…そのためには、「気持ちの上で自由」な子たちを育てていかなければ、という主張、とりわけ「気持ちの上で自由」というお言葉に大変惹かれました。
のびのびと、いっぱい失敗して、そんな子どもに「本気で向き合う」大人、「役割」ではなく「自分」を生きる大人、それを「伝える」こと、「見せる」こと…それがいかに大切か、というお話で話題提供は締めくくられました。
熟議ではこの話を受けて「自分を生きるとは何?」「自分を生きることで、子どもは何を受けとるか?受けとるものは何だろう?」という2つのテーマで行ないました。
元々客観的に見ることが難しい「自分」について、参加者それぞれの独特な見方を知ることができたことに加え、そんな「自分」から子どもが受けとるものは、言語的なものより、非言語
最後のご挨拶で特に印象的だったのは、「学園長のくせに、と『褒め言葉』をよくいただきます」というお言葉でした。本当に、「役割」(や肩書き)ではなく、「自分」に正直であろうというその姿勢、今後何度となく思い返すことになりそうです。本当にありがとうございました。
※そういう仕事はぜんぜん平気でしたが、入れ歯の洗濯のときの臭いはキツかったそうです…なんて「正直な」方なのだろう、と思いました!