第20回はダイバーシティ研究所代表理事の田村太郎さんです。
お話は「ダイバーシティは夢じゃない!~ひとりひとりを大切にする社会とは~」というテーマでした。
最初に「ダイバーシティ」という言葉を、日本語でどう訳すか、について意見を聞きたい、というお話がありました。皆さんならどう訳すでしょうか。単純に多様性、と訳すだけではなく、「ダイバーシティ」という言葉そのものの持つ意味を今でも追求し続けている姿勢がうかがえたような気がしました。
ダイバーシティ研究所は、愛称が「DECO」というそうですが、これは「Diversity is Energy for Community & Organization」の頭文字で「多様性は地域や組織のエネルギーである」という意味だそうです。実は後付だそうですが、よくできた言葉ですね。
お話は、田村さんの活動に関して、他ではあまり話すことがないという阪神淡路大震災前のことも含めたものでした。
兵庫県伊丹市生まれの田村さん。高校は県立伊丹高校に通ったそうですが、そこは公立ながら変わった学校だったそうで、学生が運営する学園祭では最後の決算が合わず朝まで帰れなかったとか…!?それに付き合ってくれた先生がすごかった、という感想も面白いなと思いました。
そんな中、田村さんが大学受験を迎える頃、世界では様々な大きな出来事がありました。
1989年。中国では天安門事件が、ドイツではベルリンの壁の崩壊がありました。それを見ていて「このままでいいのだろうか」と感じた田村さんは、センター試験を受けずに、自らアルバイトでお金を稼いで海外に渡りました。中国へ渡ってシベリア鉄道を目指し、そしてヨーロッパまで。更にはアフリカにも行ったそうです。
世界の国々で様々な人に出会い、ご飯をご馳走になって話を聞き、「ご飯食べたんだから、その分今の話をしっかり日本で伝えるように」といろんなところで言われたそうです。世界の様々な場所で様々な人達から様々な話を、様々な景色の中で聞いてきた経験があったのですね。
帰国後は在日フィリピン人向けレンタルビデオ店で勤務。フィリピンで直接ビデオを仕入れてきて電話で注文を受けて発送していました。電話の内容は、注文ばかりではなく、仕事の愚痴や相談事など、様々な話があり、在日フィリピン人のおかれている状況が感じ取れたとか。
そして阪神大震災が起こりました。そんな災害時でも外国人からの電話はかかってきます。当時の国際電話が公衆電話でかけるのが一番安かったこともあり、公衆電話からかけてくる外国人が多かったそうですが、災害時には公衆電話が優先的につながるのです。そのことに気付いた田村さんは、電話を通して外国人被災者へ情報を提供する事業を発案し、『外国人地震情報センター』を設立。その後も外国人向けの情報通信事業を展開していきました。
「目の前の課題からは逃げない」
計画性はなかったと言いながら、様々な経験をされてきて、社会起業で課題解決を図ろうという人達を支援するためにビジネスコンペ『edge』を立ち上げるなど、更に様々な実践をされています。
また、お子さんを小児がんで亡くされていて、その経験がきっかけとなり、神戸にチャイルド・ケモ・ハウスを作りました。お願いするのにふさわしい建築家を探し、直談判に行ったそうです。
「作ってみるしかない」
批判したり、研究したりするだけでなく、実際に動く、実際に作る、という実践こそがもっと求められている、というお話が熟議の中でも出ていました。
「世界は変わる。自分の手で変えられる」
「これからの社会は、人が社会に適合して生きるのではなくて、社会全体で生き方や働き方を変えていく時代になる」
というような言葉が印象的でした。
何かを排斥してしまうような社会ではなく、誰かが我慢して合わせて同化していくような社会ではなく、違うからといって接することのないように線を引いてすみわけをするような社会でもなく、多様性に配慮のある「共生」の社会へ。
熟議は「どうすればチャレンジする人が増えるのか?」というテーマでできるだけ具体的なアイデアを出そう、ということで対話をしました。
田村さんの経験のように、海外に目を向けられるような仕組みについて、失敗できるような環境をいかにして作るか、などの具体的な意見が出たり、変化を受け入れることは「愛」※なのだというような抽象的なお話まで、様々な切り口がありました。
※「変」と「受」を合わせると「愛」になる、という発想です。
チャレンジする時にも「お金」の壁にぶつかる、という話が出ました。それに対して田村さんは、チャイルド・ケモ・ハウス設立の際の資金集めの経験から、「お金はいいものだ、と思った」というお話を返していました。
お金そのものは意志を持っていないから、お金が動く時は何かしら人の意志が関わっている時です。想いを形にしてつないだり、伝えるたりすることができるのがお金であって、それによって応援できたり、つながることができたりする、というのです。
現在、2015年度中学部開設に向けて資金集めをしているこどもの森学園にとっても、心に沁みるお話だったのではないでしょうか。
最後に行われたグループごとの発表では、書籍でこどもの森学園を知り、初めて教育カフェ・マラソンに参加してくれた高校生の方が「私にとっては、ここに来ること自体が大きなチャレンジでした」というお話をしてくれて、きっかけと勇気の大切さを感じました。
まさに多様な人が集まり、多様なお話ができた時間でした。
そんなきっかけをくださった田村さん、参加してくれた皆さん、ありがとうございました。
次回は6月6日(金)、話題提供者は宇都宮誠さん(生野学園学園長)です。お楽しみに。
(J.S.)